日本の共産主義の歴史
☆ソ連に因って作られた
[日本共産党]
↓
☆戦後『一国一共産党』の基本に則り
[日本共産党]と[朝鮮総連]に分離
↓
☆共産主義支援との事で
中共も、影響力を増す
↓
(表向き)
共産党暴力革命では、まだ緩いと感じて
学生中心に極・暴力革命の[学生運動]が
分離して起こる…と、されてるが~
ソ連型[共産党]に対し
中国型が、分離活動したのが
『学生運動』の実情でした
[日本共産主義]発足の流れで
インターナショナルは唄うけれども
立て看板のゲバ文字は
中国の[簡字体]でしたしネ
スポンサー色丸出しは、今の沖縄闘争と一緒
↓
☆革マルのロベスピエールの様な[黒寛]より
人望の有った[本多]を中心に中核が出来
本多暗殺の後は有能な[松崎]が
革マルを統率し
[革マル]vs[中核]が
暫く続きますが~松崎死後
どちらも、それぞれ内部分裂が起き
ねじれ現象を起こしています
[日本共産党]も
一時は、中国排除に向かったものの
『金』には弱く(笑)
よりを戻した…と、云うより
中共傘下の呈を様していきます
最近( ・◇・)中核のボス、清水氏が
表に出て来ました
本多氏の後を継いだ時
世間的には『誰だよ、その若造』
ってノリだったのですが~
本多氏のたった3歳下、既に80代なんすネ…
非公然部隊だったから
突然現れた感だったのでしょうねェ